ちんちんこしょこしょの話、あるいは幼児期の自慰行為とペニスの形状について

アラサー男性の自分語り。

なかなかリアルの知り合いに話せる話題でもなく、インターネットの海に遺灰を撒いて供養したい話。

物心ついた頃、おそらく3〜4歳くらいからわたしは常習的にペニスを弄っていた。

うつ伏せになり右手を股間の下に敷いて、親指以外の四指でペニスを擦る。パンツとズボンを履いたまま行うのがポイントだ。

右手でペニスの右側上面を圧迫しながらひたすら擦る。そのうち、睾丸の裏がぎゅっと収縮して亀頭全体にじんわり快感が伝わってくる。これがこの行為の「ゴール」だった。

親が買い物に行っている間や早朝の物置部屋など、誰も見ていない隙を狙って毎日励んでいたけれども、とはいえ 3、4 歳児の浅知恵、すぐに母にバレた。

しかし幸い母は理解を示してくれ、ストレスが溜まって奇行に走っているのだと考えたらしい。特に叱責されることもなく、その行為でストレスが解消できるなら今まで通り人目につかない場所でしたら良い、と。

いい気になったわたしはこの行為のことを「ちんちんこしょこしょ」と呼称し、「ちょっとこしょこしょしてくる!」などと宣言していたらしい(記憶無し)。

性的コンテンツに触れないまま小学生時代を過ごした。「ちんちんこしょこしょ」の癖は継続していた。ひとりっ子かつ鍵っ子だったので放課後は絶好のこしょこしょチャンスである。進研ゼミの Unit をひとつ進めるたびに致していた気がする(自明だとは思うが友だちはいないので可処分時間は無限に近かった)。

さて、そんな充実した小学校生活をそろそろ終えようかという頃、ある転機が訪れた。

週末のどちらかにしか家にいない父が珍しくわたしを車で連れ出した。行き先は教えてくれなかったが、父のこれまでの傾向からして本屋かスケートリンクだと思った。

父が車を停めた場所には「泌尿器科」とあった。たけしの家庭の医学で見たやつだ。まさか父は前立腺癌なのか?もしかして余命宣告的なイベント?などと頭の悪いことを考えていたが、患者はわたしだった。

何も分からないまま下半身を露出させられ、にわかに処置室のベッドに寝かされた。看護師さんたちに両手両足を押さえられて少しドキドキした。偉そうなおじさんの手には医療ドラマでしか見たことがなかったメスってやつが握られていた。

「じゃあいきますね〜」

何が???と疑問符が浮かぶが早いか、ちんちんに信じられない痛みが走った。このおっさん、ちんちんと皮の間にメスを入れて無理やり剥がしている!!!

後にも先にもこれ以上の痛みは無い。無限とも思える時間わたしは泣き喚き、汚い言葉を叫び散らし、ややあってわたしは人生で初めて息子の顔と対面した。真っ赤で痛々しかったが、嗚呼これだ、これがちんちんだ、父と同じ形だ、などと思った記憶がある。

ただ真性包茎の手術を受けただけで何を大袈裟に、と思われるかもしれないが、これを機にわたしは自分のちんちんに本当の意味で向き合えるようになったと思う。父がなぜわたしを騙すような真似をしてまで手術を受けさせたのか、皮を被ったままだと何がまずかったのか、術後の亀頭に軟膏を塗り込むたびにピクピク反応するこの感覚は何なのか、「ちんちんこしょこしょ」とは何だったのか。

ちんちんとは、何か。

少し月日が流れて中学1年生になった。手術後、軟膏を使い切るまではペニスへの刺激は控えるようにというお達しがあったためしばらく「こしょこしょ」はお休みしていた。そんなある日、所用で父の単身赴任先のアパートへ向かった。レオパレスワンルーム。そこで何となくテレビを点けてみた。すると映し出されたのはやたらとセピア味が強い映像で、裸の男女が何やらモゾモゾしている。動きが激しくなったかと思えば、安アパートの薄壁では抑えられないのではと思うほどの音量で女性の嬌声が鳴り響いた。父は悪びれもせず笑い、地上波にチャンネルを切り替えた。

ほぼ初めてと言って良い性的コンテンツに触れ、純粋だった(本当に純粋だった)わたしは決まりの悪さに耐えきれず、レオパレス特有のベッド下収納の中に身を隠してしまった。父はそんなわたしを笑い、ひとりで買い出しに出ていった。

さあ、チャンスだ。ベッド下収納のなかで一瞬の映像の記憶を思い出しながら、うつ伏せになり右手をセットする。いつも通り、デニムは履いたままだ。だがいつものようにスムーズに擦ることができない。何故か。ペニスが痛いほど勃起しているからである。

信じ難いことに、「ちんちんこしょこしょ」はいつも半勃ち程度の状態で行っていた。程よく柔らかく弾力がある状態だからこそ、圧迫して快感を得ることができていたのだ。しかも包茎手術後の敏感な亀頭が完全に露出してしまっていて感覚がズレる。

ベッド下収納内に籠った熱気と焦りで額から汗が吹き出す。早くしないと父が帰ってきてしまい、この千載一遇のチャンスを逃してしまう。

…………枕だ。使われていない低反発枕がある。手の代わりに枕を使って圧迫すればペニスカチカチ問題と亀頭過敏問題を同時にクリアできる。

生まれたての亀頭にはパンツとデニム越しに低反発枕にぎゅっと押し付ける程度のマイルドな刺激がちょうど良く、すぐに「ゴール」に辿り着いた。のだけども、明らかにペニスの先から「何か」が出た。「何か」というか当時の私の知識レベルでは尿以外あり得ないので、大慌てでパンツの中を確認する。白い。なんか白いナメクジみたいなものがべっとりとへばりついている。しかも生臭い。

何が何だか分からないが、ともあれ証拠隠滅を図らなければならない。ナメクジは幸いゲル上でデニムまでは染みていなかった。パンツの中のナメクジをとりあえずティッシュで拭きとる。臭いはちゃんと服を着ていればそれほど遠くには届かないだろうと考えた。

何とか思いつく隠滅工作は全てやり遂げ、父が帰ってくる頃には何食わぬ顔でアニメを見ていた。今思えば父が臭いに気づかないはずがないので、一体どんな心境で普段通りに接してくれていたのか、機会があれば聞いてみたいものだ。

精通とともに性的コンテンツの存在を知ったわたしは、その後正しい(かどうかは分からないがおそらく一般的な)自慰行為のやり方を覚え、晴れて「ちんちんこしょこしょ」から卒業した。

無事オナニー猿に進化した中学生のわたしは次に、あることが気になってくる。

「なんかちんちん曲がってね?」

アダルトなビデオなどでモザイク越しに見るペニスと自分のペニスの形が違うことが、どうにも素直に受け入れられなかった。男優さんのペニスは真っ直ぐ天を突くような格好の良い形なのに対して、わたしのは水平より少し上くらいの角度が限界で、見下ろすと右ピッチャーのカーブの軌道のように湾曲しているように見える。しかも正面から見ると首を傾げているように捩れている。

「これってもしかして『こしょこしょ』のせいでは?」

右手でペニスの右側上面を圧迫しながら擦り続けた結果このような形状になったのだと考えると辻褄が合ってしまう気がする。

インターネットを覚えた中学生のわたしは不安に駆られて「ペニス 左曲がり」「ペニス下反り」などと検索しまくった。すると「床オナは絶対ダメ、射精障害になる」「曲がりチンは最悪挿入できない」「手術して真っ直ぐにする必要がある」なんて不安を増長するような文言しか目に入って来ないではないか。

中学生の時分に受け止めるには少し刺激的すぎた。なぜ両親は止めてくれなかったのか、なぜ学校で教えてくれないのかなど他責的な思考がぐるぐる巡る。誰かに相談するにも羞恥心が勝り、どうにか不安な気持ちに蓋をしながら日々を生きた。

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それから幾許かの月日が流れ、結局のところあの頃の未熟な不安感は杞憂に終わった。実際のところ挿入には特に問題はなく、軽度の膣内射精障害のような症状はあったものの程なく克服した。

今ではヘンテコな形のペニスも個性だと受け入れることができている。正常位よりは後背位の方が少し得意、くらいのちょっとした個性だ。

男という生き物は大きさだの形だの勃ちが良いだの悪いだの、とかくペニスに振り回される。もちろん今日日、お金や努力で理想に近づける方法もあるだろう。そうした選択も当然尊いものだ。

けれども一度、自らが「そう」であることを受け入れようとすることも肝要ではないかと思う。結果として受け入れられても受け入れられなくても、その過程で経た内省こそが自分だけの財産になるのではと主張したい。

 

終わりに。

わたしの目下の困り事は身長が低いこと、短足胴長なこと、首が短すぎることである。助けて欲しい。